懐庵開き
Written by admin on 2010/7/28 水曜日 – 9:20:52 -ヘルマン・ヘッセの「ガラス玉遊戯」に次のような一節が出てくる。
In those days men’s ears heard sounds whose angelic purity cannot be conjured up again by any amount of science or magic.
“The Glass Bead Game” Hermannn Hesse
糸島の道場は、そんな「懐かしい」音を蘇らせるための実験場である、という意味を込めて「懐庵」と名付けた。
甲野先生が当日の様子を随感録に書いてくださっている。
懐庵道場開き
先日この随感録で、子どもの頃は一日が長かったと書いたが、一昨日7月25日は何十年ぶりかに少年の日を思い出すような長い一日を体験した。この日は10時近くに博多のホテルから糸島へ車で移動して、11時近くに椎や樟や樫に囲まれた山荘に到着。その一棟を森田真生氏の数学道場「懐庵」として新しい学問の在り方を、これからの時代に問う道場開きがこの日行われた。
まず、「懐庵」の文字を、欅の板(一寸ほどの厚みに斜めに玉切ったもの)に揮毫することから始まった。約30人の参加者が墨をすり、森田氏からの依頼で私が筆をとった。使った竹筆は11年前、映画「御法度」の題字を、先日亡くなった大島瑛子女史からの依頼で私が書いたおりに大島女史から贈られたもの。
揮毫の後は、近くの平尾氏宅で昼食。そこに並んでいた料理の種類の多さと、仕上がりの見事さに感激したが、驚いたことにこれをほとんど一人で作られた平尾夫人は、料理に関してはテレビなどを参考にして作られたという全くの素人。改めて現代は、素人で思い入れのある人の方がほとんどのプロよりもいいものを作るという時代になっていることを改めて感じた。それにしても並んだ料理のバラエティの多さと、レベルの高さには改めて頭が下がった。世の中には隠れた達人がいるものである。
その後は薪割り体験会。今回の道場開きのイベントのプログラムについてはほとんど聞かされていなかったが、薪割りならば私も滅多に引けを取らない自信があったので、自然と私と佐世保の野元浩二氏が講師となって体験会を行った。
森田氏も参加して初めての薪割りにも関わらず、身体能力の高さを証明。後半は分かれて、森田氏は、懐庵で初めての数学の講座。私は薪割り指導を続ける。
このあたりから連日の寝不足とハードスケジュールにもかかわらず、私の身体が全く疲れを感じなくなりはじめた。薪割り体験会の後は参加者全員、何台かの車に分乗して、海岸のレストランへ。ここで夕食と森田氏の挨拶。その後福山の東福院金尾住職と、森田氏のトーク。森田氏との「この日の学校」を昨年9月福岡と福山でスタートしてから、まだ1年経たないうちに、想像を超えた展開があって、今これだけの人たちがここに集まっていることを思うと感無量。
元は私が森田氏を世に出そうと企画した「この日の学校」だが、私が思いついたというのは単なる形の上で、私が歴史の一コマの端役を割り振られ、ただその役を務めたに過ぎない、ということを強く感じた。これは私の長年のライフワークである「人間の運命は完璧に決まっていて、同時完璧に自由である」ということの自覚が以前よりは多少は進んできたのだろう。
それにしても、挨拶に立った森田氏のスピーチにこの1年の森田氏の成長ぶりを感じ、目を見張らされる。
この後「懐庵」道場開きのイベントはいよいよクライマックスへ。レストランでのイベントの後、ふたたび「懐庵」に戻り、そこでウィリアム氏による倍音のワークショップ。これで参加者が日常性から非日常空間への切り替えがある程度整ってきた。その後、糸島全景を見下ろせる近くの山へ全員で移動。車で行けるところまで行って、後は、かなりの急傾斜を数百メートルのぼり、その山頂でウィリアム氏が素数を独特の節回しで読み上げる声を伴奏に、山田うん女史が踊る。遠く海岸からは、金尾住職の法螺貝の音。満月が照らす深夜の山頂は、完全に異空間となった。そのためだろう、私も思わずうん女史とコラボで舞った。あんなふうに体が動いたのは、ピナバウシュとブッパタール舞踏団の団員にワークショップをして我知らず体が動いて以来だと思う。すべての予定が終わった時は、日付はすでに26日。参加者全員この日のことは今後長く記憶にとどまるに違いない。森田真生氏の類い稀な才能と、それを支援する人々との縁の不思議さをあらためて思った。特に、山荘の一棟を「懐庵」に提供してくださった飯野史朗氏のご好意は単なる好意を超えている。「この日の学校」創設者の一人としてあらためてお礼を申し上げたい。
全文は随感録 2010年7月25日へ
僕は、まだあの日をことばに変えることができないが、甲野先生の文章を拝見していて、あの瞬間が蘇ってくるようで鳥肌がたった。
本当にたくさんの方からの応援によって実現したあの瞬間に心から感謝している。
25日当日にいらしてくださったみなさま、いらっしゃることができなかったけれど遠くから応援してくださったみなさま、本当に本当にありがとうございました。
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